教会歴(A)降臨節第2主日(マタイ3:1-12)
2013年12月04日 22:34
洗礼者ヨハネが現れる。
1.洗礼者ヨハネが施した洗礼とは?ーマタイによる福音書第3章11節を参考
2.どうして洗礼者ヨハネは洗礼を受けようと出てきたファリサイ派、サドカイ派の人々に対して”蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。”と言ったのか?
3.マラキ書第3章に出ているエリヤとの関係
4.イエスキリストによって授けられる聖霊の火の洗礼とは?
あ…一週間、15分の説教で語り切れないほどのたくさんのお恵みがある…他の主日の福音書もそうであるが、今週のみ言葉の深みと幅は大変広い…
2013年12月1日から7日までのみ言葉。創世記第6章から7章まで。
2013年12月01日 00:42
創世記第6章 5節~8節
主は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけではなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらのことを創ったことを後悔する。しかしノアは主の好意を得た。
教会歴(A)降臨節第1主日(マタイ24:37-44)
2013年11月27日 00:03
ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり…
来週からは新しい2014年の降臨節が始まる。
その個所として取り上げられたのがこのマタイによる福音書24章のみ言葉である。
ヨハネによる福音書を除いたマタイ、マルコ、ルカの3つの共観福音書はみんなこのイエス様のお言葉を書き記している。
今週はとても大事な主日であるような気がする。
今を生きているクリスチャン、教会に対する厳しい警告ではないだろうか。
主よあなたは私の主です。あなたを愛します、あなたに従いますと常に(少なくとも週に1回は)自分の信仰を告白をしている私たちこのみ言葉はどのような意味を持つのであるだろうか。
よく考え
2013年11月24日から30日までのみ言葉 ローマ人への手紙第4章 2~3節、5節
2013年11月26日 01:42
もし彼が(アブラハム)行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。(4節省略)不信心な者を義とされる方を信じる人は、働かなくても、その信仰が義と認められます。
ルカ23章35-43 どうしてイエス様はこの世に来られたのか(2)
2013年11月22日 11:19
今週の黙想のポイントは再臨、主の御国の到来とした。
教会歴において最後の主日、そして次週は降臨節が始まる。
イエスキリストの初臨と再臨のことを覚えさせるにふさわしい配置だと思った。
イエスキリストは死ぬために来られた。目的はそれだけだった。また死ななければすべての人間に対する罪の赦しは成就できなかっただろう。死があったため復活があって、まことの王として再び来られることができる。
このイエスキリストの死、また復活、再臨こそすべての教会の信仰そのものである。
キリストは死ぬために来られ、その願い通りに死なれた。教会はこの犠牲のささげものの上に成り立ったものである。
しかし、今の教会は死のうとしない
ルカ23章35-43 どうしてイエス様はこの世に来られたのか(1)
2013年11月19日 15:12
死ぬために
民衆や議員たちが十字架にかけられたいるイエスを見て嘲笑って言った。
「他人を救ったのだ。もし神からのメシアで、選ばれたものなら、自分を救うがよい」「お前がユダヤ人の王なら、自分を救ってみろ」
十字架にかけられていた犯罪人のひとりが「お前はメシアではないか。自分人身と我々を救ってみろ」
するともう一人の人が言った「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに、我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何も悪いことをしていない」そして「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、私を思い出してください。」
するとイエスは「はっきり
降臨節前主日
2013年11月18日 00:15
旧約:エレミヤ 23:1-6
使徒:コロサイ 1:11-20
福音:ルカの福音 23:35-43
2013年11月17日から23日までのみ言葉 ローマ人への手紙第3章27節~28節
2013年11月17日 23:10
人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。
信仰の法則によってです。なぜなら、私たちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。
聖霊降臨後第26主日
2013年11月14日 23:01
旧約:マラキ 3:12-20b、23-24
使徒:テサロニケⅡ 3:6-13
福音:ルカ 21:5-19
ルカ21章5-19終末の徴2
2013年11月14日 11:10
”’人々は神殿の美しさに見とられていた。”
幕屋、神殿、律法、聖書…
そもそもこれらが私たちに与えられた目的は
すべて、神様を示すためのものでした。
幕屋は常に、わたしたちの中におられる神様、
寝ることもなく、わたしたちと共におられ、守って下さるお方のことを示すために。
神殿は神様の栄光、またエルサレム(エル;神の サレム:平安、栄光)という地名が神様の栄光を表すものである。
旧約時代の礼拝、犠牲の祭、贖うことを示す。
しかし、人々は見とれてしまった。
まことの神様のことを悟ることができなかった。
神様の栄光を表すためのものがむしろ敬拝の対象となった。
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