”’人々は神殿の美しさに見とられていた。”
幕屋、神殿、律法、聖書…
そもそもこれらが私たちに与えられた目的は
すべて、神様を示すためのものでした。
幕屋は常に、わたしたちの中におられる神様、
寝ることもなく、わたしたちと共におられ、守って下さるお方のことを示すために。
神殿は神様の栄光、またエルサレム(エル;神の サレム:平安、栄光)という地名が神様の栄光を表すものである。
旧約時代の礼拝、犠牲の祭、贖うことを示す。
しかし、人々は見とれてしまった。
まことの神様のことを悟ることができなかった。
神様の栄光を表すためのものがむしろ敬拝の対象となった。
神様を示すべきものが自分が神のふりをしている。