名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

聖書の黙想

二つの疑問点。平和と赦し

2015年04月10日 00:19
2015年復活節第主日の箇所 使徒書3:12a、13-15,17-26 Ⅰヨハネ 5:1-6 ヨハネ 20:19-31            イエス様が弟子たちの間に現れて、最初に言われた挨拶は“あなた方に平和があるように”ということであった。ではその平和とは何か?心の不安がなくなることなのか?ユダヤ人たちが怖くて不安に陥った弟子たちの心が冷静になることなのか。死んだイエス様が生きて戻ってきたから安心しなさいということなのか。 しかしそれだけで終わっていない。引き続き次のようなことを言われた。“父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす” 父がわたし(イエス)をお遣わしになった
聖書のすべての物語りは有機的、漸進的また模型論的ものである。 創世記を始めヨハネの黙示録まで、イエスキリストと恵みの救いについてのことだけが書かれている。 その意外のものは一切ない。 神様のみ国がどのような方法で成し遂げられていくのか、それを見極めることこそ、わたしたちが聖書を読み、礼拝を捧げ、信仰生活をする目的である。 人間の堕落、救いの約束、イエスキリストを原型とする数多くの模型の物語(モーセ、士師記の士師たち、ルツ、ダビデ、イザヤ、エリヤ、洗礼者ヨハネ…)を通して、人は何を学ぶべきなのでしょうか。 また、わたしとあなたは聖書を通して何を得ようとしているのでしょうか。
マタイによる福音書第24章からはこの世の終末についてのキリストのお言葉が続きます。 たとえ話としては4つの話が用いられています。 それは良い僕と悪い僕、10人の乙女、タラントンのたとえ、すべての民族を裁くとのたとえです。 四つのたとえ話共に良い者とされた人々と悪い(不忠実)ものとされた人々が出てきます。   ”だから良い者として分けていただけるように頑張りましょう”とい教訓が語られているわけですが、 一体だれが良い者として分けていただけるのに相応しいものなのでしょうか。 皆様は、自分の努力ヤ行いをもって神様に認めてもらおうとされているのでしょうか。それともこの世の人々に認めてもらおう

聖霊降臨後第21主日特定26

2014年10月27日 00:47
ミカ 3:5-12 Ⅰテサロニケ 2:9-13、17-20 マタイ 23:1-12 マタイによる福音書第23章3節 ”だから、彼らがいうことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。” 今週もスタートです。
2週間前の説教で触れてみましたが今週はもうちょっと深く吟味してみたいと思います。お楽しみに!!
サムエル記;常識はずれのように見える神様の選択(み業)しかしそれこそ真の光の役割 エフェソ:光は世を照らしてすべてを明らかにされる ヨハネによる福音:光は、この世の常識(律法、哲学)を砕き   イエスはご自身のことを光だと述べられました。 救いは光に照らされた人々が、その光によって今までは見えなかったことが見えるようになる(罪が暴露され)こと。   今週の福音書は単なるイエス様の神性(神のような力があるイエス)の話ではなく、光として表されたイエスによる救いについてのことである。  
山上の垂訓はイエス様が最初になされた説教として聖徒においてよく理解しておく必要があります。 山上の垂訓について数多くの解説書(注解書)があるのはそのためでしょう。 特に左の頬を撃たれた右の頬をも向けなさいとか、 求める者には与えなさいとか 自分を迫害する者のために祈りなさいと言うイエス様のお教えは多くの人々に感動を与えました。 それで、多くのクリスチャンはこの教えを実現するために祈り、努力しているのではないでしょうか? 自分もイエス様によって赦されたから、他の人々が犯した罪とも復讐ではなく、いいものにして、さらに2倍いいものにして返さなければいけないとしているわけです。 しかし、聖書の教えが本
聖徒はこの世の塩であり、光であるというみ言葉の真意について。 この世を人々の前に輝くべき聖徒の人生、役割、歩みとはどういうものなのか? どのような光、どのような塩であるから、それを見たり味わったりしたこの世の人々が天の父を崇めるようになるのだろうか。 この世の塩であり、光である聖徒において立派な行いとはなんなのか。 高い人格を持って、善行を行い、この世に大きな感動、教えを伝えてくれた偉い人々の行いのようなことなのか。   さらにわたしたちの義が律法学者たちより、ファリサイ派の人々より義にまさっていなければあなたがたは決して天の国に入ることはできないといわれたイエスのお言葉はわたしたち
ヨハネは牢の中でキリストのなさったことを聞き、自分の弟子たちをイエスのところに送って尋ねさせた。 「来るべき方はあなたでしょうか。それともほかの方を待たなければなりませんか」 イエスはお答えになった「言って見聞きしていることをヨハネに伝えなさい。」 目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている。わたしにつまずかない人は幸いである   そして、イエスは洗礼者ヨハネについて話し始められた。 イスラエルの人々よ、あなたがたはイスラエルを救ってくれるメシアを待っているであろう。 そ
洗礼者ヨハネが現れる。 1.洗礼者ヨハネが施した洗礼とは?ーマタイによる福音書第3章11節を参考 2.どうして洗礼者ヨハネは洗礼を受けようと出てきたファリサイ派、サドカイ派の人々に対して”蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。”と言ったのか? 3.マラキ書第3章に出ているエリヤとの関係 4.イエスキリストによって授けられる聖霊の火の洗礼とは? あ…一週間、15分の説教で語り切れないほどのたくさんのお恵みがある…他の主日の福音書もそうであるが、今週のみ言葉の深みと幅は大変広い…  
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聖書日課

顕現後第6主日

2014年02月25日 23:42
旧約 レビ記 19:1-2、9-18 あなたたちは聖なる者となりなさい。 使徒 Ⅰコリント 3:10-11、16-23 自分はこの世で知恵のある者だと考えでいるなら、本当に知恵のある者となるために愚かなものになりなさい。 誰も人間を誇ってはなりません。 福音 マタイ 5:38-48 あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全なものになりなさい。

顕現後第5主日

2014年02月05日 01:28
旧約:ハバクク3:1-6、17-19 どんなことでも主に感謝するべし 使徒:Ⅰコリント 2:1-11 すべてが霊(聖霊)によってなる 福音:マタイ 5:13-20  この世の塩であり、光である聖徒

顕現後第4主日

2014年02月05日 01:25
マラキ 3:1-4 ヘブライ 2:14-18 ルカ 2:22-40

顕現後第2主日

2014年01月20日 23:22
旧約:イザヤ 49:1-7  イスラエルの残りの者 使徒:コリントⅠ 1:1-9 最後まであなたがたをしっかり支えてくださる 福音:ヨハネ 1:29-41 世の罪を取り除く神の小羊

降臨節第2主日

2013年12月05日 01:15
旧約:イザヤ 11:1-10 使徒:ローマ 15:4-13 福音:マタイ 3:1-12

降臨節第1主日

2013年12月05日 01:13
旧約:イザヤ 2:1-5 使徒:ローマ 13:8-14 福音:マタイ 24:37-44

降臨節前主日

2013年11月18日 00:15
旧約:エレミヤ 23:1-6 使徒:コロサイ 1:11-20 福音:ルカの福音 23:35-43  

聖霊降臨後第26主日

2013年11月14日 23:01
旧約:マラキ 3:12-20b、23-24 使徒:テサロニケⅡ 3:6-13 福音:ルカ 21:5-19

聖霊降臨後第25主日

2013年11月05日 23:48
旧約:ヨブ 19:23-27a 使徒:テサロニケⅡ 2:13-3:5 福音:ルカ 20:27-38  

聖霊降臨後第24主日

2013年10月29日 23:37
旧約:イザヤ書 1章10-20節 使徒:テサロニケⅡ 1章1-5、(6-10)11-12節 福音:ルカ 19章1-10節
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名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

重要なお知らせ

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聖書日課

申命記30:15-20

二つの選択肢

フィレモン1:1-20

オネシモを仲間として見なしてください

ルカ14:25-33

親類を、さらに自分の命まで憎む者

2016年8月14日 C年 特定15

2016年08月18日 14:17

エレミヤ書 23:23-29

偽りの預言者たち

ヘブライ人 12:1-14

自分に定められた競争を走りぬく

ルカ福音書 12:49-56(-59)

分裂をもたらすため

2016年8月7日 C年 特定14

2016年08月18日 14:15

創世記15:1-6

アブラムは主を信じた。

ヘブライ:11:1-16

故郷を探し求めていた人々

ルカ12:32-40 

目を覚ましている僕のたとえ

2016年7月31日 C年 特定13

2016年07月31日 02:42

コヘレトの言葉1:12-14、 2:(1-7,11) 18-23節

すべては空しい

コロサイの信徒への手紙 3:5-17節

新しい人を身に着けたもの

ルカによる福音書 12:13-21節

愚かな金持ちのたとえ

創世記18:1-14

子どもを産めないさブラハムとサラ

コロサイ1:21-29

キリスト・栄光の希望

ルカ 10:38-42

マルタとマリア

申命記:30章9-14節

カナンに入る前の戒め

コロサイの信徒への手紙:1章1-14節

罪の赦しを得させる贖い主イエス

ルカによる福音書:10章25節-37節

よきサマリア人のたとえ

2016年7月3日(線特定9)

2016年06月27日 23:56

イザヤ:66:10-16

エルサレムの回復

ガラテヤ:6:(1-10)、14-18

善を行うこととは

ルカ10:1-12,16-20

何によって喜びますか

2016年6月26日(C年特定8)

2016年06月27日 23:55

列王記上19:15,16,19-21

エリサ、エリヤの後を継ぐ

ガラテヤ5:1.13-25

奴隷のくびきから解かれたならば

ルカ9:51-62

キリストに従うこととは

2016年6月19日(C年特定7)

2016年06月27日 23:54

ゼカリヤ書12:8-1031:1

エルサレムの回復の日

ガラテヤ書3:23-29

養育係からキリストへ

ルカ 9:18-24

あなたがたはわたしを何者だと思うのか

サムエル記下11:26-12:10,13-15

ウリヤの妻バトシェバを奪う

ガラテヤ 2:11-21

人を義とするものは

ルカ 7;36-50

罪深い女を赦す

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