2014年3月9日から15日までローマの信徒への手紙第5章18、19節
2014年03月10日 00:02
一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によってすべての人が義とされて命を得ることになったのです。一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。
2014年3月2日から8日まで ローマの信徒への手紙第3章21、22節
2014年03月03日 00:22
ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何の差別もありません。
2014年2月9-15日 マタイによる福音書第5章13、14節
2014年02月15日 23:50
あなたがたは地の塩である。だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。もはや、何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけである。あなたがたは世の光である。山の上にある町は、隠れることができない。
2014年2月2-8日 出エジプト記 第12章 26、27節
2014年02月05日 00:40
あなたたちの子孫が『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねる時は、こう答えなさい。これが主の過越しの犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエル人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのであると。/ 民はひれ伏して礼拝した。
2014年1月19-25日 ローマの信徒への手紙 第5章 14節
2014年01月20日 23:01
しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。
実にアダムは、来るべき方を前もって表すものだったのです
2014年度のみ言葉 フィリピの信徒への手紙第2章12,13節
2014年01月06日 12:32
私の愛する人たち、いつも従順であったように、私が共にいる時だけでなく、
いない今もなおさら従順でいて、
恐れおののきつつ、自分の救いを達成するように務めなさい。
あなたがたの内に働いて、み心のままに望ませ、
行わせておられるのは神であるからです
2013年12月8日から15日までのみ言葉。ローマ人への手紙第9章
2013年12月08日 04:41
ローマ書第9章 13節~16節
「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてある通りです。では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。決してそうではない。神はモーセに、「私は自分が憐れもうと思うものを憐れみ、慈しもうと思うものを慈しむ」と言っておられます。従って、これは人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです
2013年12月1日から7日までのみ言葉。創世記第6章から7章まで。
2013年12月01日 00:42
創世記第6章 5節~8節
主は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた。主は言われた。わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけではなく、家畜も這うものも空の鳥も。わたしはこれらのことを創ったことを後悔する。しかしノアは主の好意を得た。
2013年11月24日から30日までのみ言葉 ローマ人への手紙第4章 2~3節、5節
2013年11月26日 01:42
もし彼が(アブラハム)行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。(4節省略)不信心な者を義とされる方を信じる人は、働かなくても、その信仰が義と認められます。
2013年11月17日から23日までのみ言葉 ローマ人への手紙第3章27節~28節
2013年11月17日 23:10
人の誇りはどこにあるのか。それは取り除かれました。どんな法則によってか。行いの法則によるのか。そうではない。
信仰の法則によってです。なぜなら、私たちは、人が義とされるのは律法の行いによるのではなく、信仰によると考えるからです。