名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

重要なお知らせ

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聖書日課

申命記30:15-20

二つの選択肢

フィレモン1:1-20

オネシモを仲間として見なしてください

ルカ14:25-33

親類を、さらに自分の命まで憎む者

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今週の説教

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叫ぶ者の声

教会の存在理由は何なのか

2013年11月13日 00:06
イエス様の献身的な生き方を学び、貧しい人々と共に過ごし、もだえ苦しんでいるこの世の中の多くの人々に主の平安を伝えるために。 神様が愛されてお創りなったこの世界の環境を守るために。また戦争のない平和な世界の実現のために。 イエス様の仕える者としての生き方を学び、ほかの人々を仕える者となるために。(謙遜) 社会的弱者のために   イエス様の愛を伝えるために… イエス様の愛を伝えるために…   確実にずれている…今の教会は真理を失い、この世の人々からの認められたいと願っている。 イエスキリストではなく、ほかのもので認められたいと又はアピールしたいと思っている。 善い行い、平和運動
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聖書の黙想

二つの疑問点。平和と赦し

2015年04月10日 00:19
2015年復活節第主日の箇所 使徒書3:12a、13-15,17-26 Ⅰヨハネ 5:1-6 ヨハネ 20:19-31            イエス様が弟子たちの間に現れて、最初に言われた挨拶は“あなた方に平和があるように”ということであった。ではその平和とは何か?心の不安がなくなることなのか?ユダヤ人たちが怖くて不安に陥った弟子たちの心が冷静になることなのか。死んだイエス様が生きて戻ってきたから安心しなさいということなのか。 しかしそれだけで終わっていない。引き続き次のようなことを言われた。“父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす” 父がわたし(イエス)をお遣わしになった
聖書のすべての物語りは有機的、漸進的また模型論的ものである。 創世記を始めヨハネの黙示録まで、イエスキリストと恵みの救いについてのことだけが書かれている。 その意外のものは一切ない。 神様のみ国がどのような方法で成し遂げられていくのか、それを見極めることこそ、わたしたちが聖書を読み、礼拝を捧げ、信仰生活をする目的である。 人間の堕落、救いの約束、イエスキリストを原型とする数多くの模型の物語(モーセ、士師記の士師たち、ルツ、ダビデ、イザヤ、エリヤ、洗礼者ヨハネ…)を通して、人は何を学ぶべきなのでしょうか。 また、わたしとあなたは聖書を通して何を得ようとしているのでしょうか。
マタイによる福音書第24章からはこの世の終末についてのキリストのお言葉が続きます。 たとえ話としては4つの話が用いられています。 それは良い僕と悪い僕、10人の乙女、タラントンのたとえ、すべての民族を裁くとのたとえです。 四つのたとえ話共に良い者とされた人々と悪い(不忠実)ものとされた人々が出てきます。   ”だから良い者として分けていただけるように頑張りましょう”とい教訓が語られているわけですが、 一体だれが良い者として分けていただけるのに相応しいものなのでしょうか。 皆様は、自分の努力ヤ行いをもって神様に認めてもらおうとされているのでしょうか。それともこの世の人々に認めてもらおう
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