名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

レ・ミゼラブルをみて I dreamed of dream

2013年12月10日 04:02

(この文は沖縄教区時報12月号に載せられたものです)

レ・ミゼラブルを通して見た人の人生

去る11月16日に大阪教区恵我之荘聖タイ教会趙ジョンピル司祭を招いてミュージカルレ・ミゼラブルを通して見る信仰の物語というタイトルの信仰講座がありました。26名の参加者らはどういう講演会かなという顔をして講師の趙司祭を待ちました。主教様の挨拶と祈りをもって始まった講演会は休む時間もない2時間の強行軍でしたが、ミュージカル版レ・ミゼラブルはわき見をすることができなぐらいの感動を与えてくれました。さらに動画の見た後には 聖書と信仰に基づいた趙司祭の優しい説明が加わり(私の説教時間とほぼ同じくらいの15分でした) その理解を深めることができました。

登場人物一人一人の人生の物語、またそこにあった喜怒哀楽を感じつつ時には涙を流し、人に対する神様のみ摂理やその導きを感じさせられました。

特に記憶に残ったのは I dreamed a dream というファンテーヌの歌でした。正確な歌詞は覚えていませんが、大体の内容は“若かった時に私は幸せだった。穏やかな音楽は響き、男たちは甘い言葉をささやいた。しかしある日虎がやってきて、私の夢を引き破り、夢は悪夢に変わった。でも私は彼を待ち続けている。彼が帰って来ることを。しかしここは地獄のようなもの。私の夢は過ぎ去った、永遠に。”でした。結局彼女は悲惨な結末を迎えました。あまりにも印象的でしたので彼女の人生を見て感じたことだけを皆さんと分かち合いたいと思います。

そもそも人間は神様に絶対依存的存在として創られました。すなわち人間は神によって存在するものとして創られたということです。また人間はその神様が共にいらっしゃらなければ、いくら良い心をもってやさしい人であっても、それがその人を義にはならないというのが聖書全体を通じて語られていることです。堕落した人間の体表者であるアダムは不従順によって神様と共にいることができなくなり、エデンの園の東の方へと追い出されてしまいます。言い換えますと神様に絶対依存的存在である人間がその頼るべきところを失ってしまったということです。さらに神で満たされるべきところが空っぽになってしまった人間にはそこ穴を何かで埋め込もうとする性向が生まれました。そしてその穴が埋められれば自分は人間として大丈夫だと思わせるものそれが宗教です。愛やお金、名誉、権力、平安(家庭や会社、学校などのどころでの安楽)を持っていれば自分は人間として大丈夫だと、うまく行っているのだと思い込んでしまうこと、これこそ息をしている人間ならば誰をも持つ宗教性です。しかし人間の存在価値は永遠に変わらない神様でなければ決して満たされることができません。人間は神様のみで満足する者として創られたからです。彼女の歌 I dreamed a dreamは、私に聖書が語る人生の空しさを思い起こしてくれました。人は真の神様を知り(ヘブライ語ヤーダー)、その神様によって説明されなければ、ただ夢を見る者に過ぎないものだということでした。

名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

重要なお知らせ

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