マタイによる福音書第24章からはこの世の終末についてのキリストのお言葉が続きます。
たとえ話としては4つの話が用いられています。
それは良い僕と悪い僕、10人の乙女、タラントンのたとえ、すべての民族を裁くとのたとえです。
四つのたとえ話共に良い者とされた人々と悪い(不忠実)ものとされた人々が出てきます。
”だから良い者として分けていただけるように頑張りましょう”とい教訓が語られているわけですが、
一体だれが良い者として分けていただけるのに相応しいものなのでしょうか。
皆様は、自分の努力ヤ行いをもって神様に認めてもらおうとされているのでしょうか。それともこの世の人々に認めてもらおうとしているのでしょうか。
或は少なくとのあの人間よりは自分の方が優れていると主の御前に立って言おうとしているのでしょうか。
人間はだれもが罪人です。塵です。誰一人その罪の鎖から自分の力で自由になれるものは一人もいません。それこそが聖書か一貫して買っていることなのです。にもかかわらず、
現代の教会はわたしたち罪人に満ちあふれるほどの、認識することさえできない神様の恵みを忘れ、良い行いを実行することに焦点を合わせているのではないでしょうか。
4つのたとえ話がもし、わたしたちに何かの業を求めるなら、だれがその神の基準を満たせられるのでしょうか。
目を覚ましていなさいという教え、油の用意、タラントンを2倍以上増やすこと、主の兄弟である最も小さなものにやるべきごとをわたしたちはどのように理解しているのでしょうか。
今週の説教を楽しみにしてください。
真の福音は罪人たちに永遠の命と本当の自由を与えてくれます。