2015年3月29日復活前主日(棕櫚の主日)聖書日課
2015年04月10日 00:26
イザヤ 45:21-25
救いを与える神
フィリピ 2:5-11
ご自分を無にし、しもべとなったイエス
マルコ 14:32-15:47
受難福音
二つの疑問点、平和と赦し
2015年04月10日 00:23
2015年復活節第主日の箇所
使徒書3:12a、13-15,17-26
Ⅰヨハネ 5:1-6
ヨハネ 20:19-31
イエス様が弟子たちの間に現れて、最初に言われた挨拶は“あなた方に平和があるように”ということであった。ではその平和とは何か?心の不安がなくなることなのか?ユダヤ人たちが怖くて不安に陥った弟子たちの心が冷静になることなのか。死んだイエス様が生きて戻ってきたから安心しなさいということなのか。
しかしそれだけで終わっていない。引き続き次のようなことを言われた。“父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす”
父がわたし(イエス)をお遣わしになった
聖書は有機的、漸進的、模型論的なものである
2015年04月10日 00:22
聖書のすべての物語りは有機的、漸進的また模型論的ものである。
創世記を始めヨハネの黙示録まで、イエスキリストと恵みの救いについてのことだけが書かれている。
その意外のものは一切ない。
神様のみ国がどのような方法で成し遂げられていくのか、それを見極めることこそ、わたしたちが聖書を読み、礼拝を捧げ、信仰生活をする目的である。
人間の堕落、救いの約束、イエスキリストを原型とする数多くの模型の物語(モーセ、士師記の士師たち、ルツ、ダビデ、イザヤ、エリヤ、洗礼者ヨハネ…)を通して、人は何を学ぶべきなのでしょうか。
また、わたしとあなたは聖書を通して何を得ようとしているのでしょうか。
二つの疑問点。平和と赦し
2015年04月10日 00:19
2015年復活節第主日の箇所
使徒書3:12a、13-15,17-26
Ⅰヨハネ 5:1-6
ヨハネ 20:19-31
イエス様が弟子たちの間に現れて、最初に言われた挨拶は“あなた方に平和があるように”ということであった。ではその平和とは何か?心の不安がなくなることなのか?ユダヤ人たちが怖くて不安に陥った弟子たちの心が冷静になることなのか。死んだイエス様が生きて戻ってきたから安心しなさいということなのか。
しかしそれだけで終わっていない。引き続き次のようなことを言われた。“父がわたしをお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす”
父がわたし(イエス)をお遣わしになった
2015年4月聖ルカ保育園便り
2015年04月02日 01:17
“キリストは復活されました。”
今月の聖句 ヨハネ20:28 トマス は答えて、「わたしの主、わたしの神よ...
2015年3月22日大祭節第5主日聖書日課
2015年03月22日 01:11
エレミヤ31:31-34
新しい(律法)契約を胸の中に授ける
エフェソ5:1-10
イエスはご自分をかおりの良い供え物として捧げられた
ヨハネ12:20-33
わたしに従いなさい。
3月22日―4月4日 ヨハネによる福音書第12章37-41節
2015年03月22日 01:07
このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。“主よ、誰がわたしたちの知らせを信じましたか。主のみ旨は、誰に示されましたか。”
彼らが信じることができなかった理由を、イザヤは次のように言っている。
“神は彼らの目を見えなくし、その心を頑なにされた。こうして、彼らは、目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らを癒さない。”
イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
2015年3月15日から21日までローマ第11章16-18節
2015年03月15日 03:52
“麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり。根が聖なるものであれば、枝もそうです。しかし、ある枝が折(お)り取(と)られ、野生でオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木とされ、根から豊かな養分を受けるようになったからと言って、折(お)り取(と)られた枝に対して、誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。”
2015年大斎節第4主日聖書日課
2015年03月15日 03:51
歴代下 36:14-23 23節
エルサレムに上がっていくようにせよ。
ローマ2:4-10 4節
あなたを悔い改めに導く神様
ヨハネ6:4-15
五つのパンと2匹の魚・命の糧であるイエスキリスト。
聖書は有機的、漸進的、模型論的なものである。
2015年03月08日 00:52
聖書のすべての物語りは有機的、漸進的また模型論的ものである。
創世記を始めヨハネの黙示録まで、イエスキリストと恵みの救いについてのことだけが書かれている。
その意外のものは一切ない。
神様のみ国がどのような方法で成し遂げられていくのか、それを見極めることこそ、わたしたちが聖書を読み、礼拝を捧げ、信仰生活をする目的である。
人間の堕落、救いの約束、イエスキリストを原型とする数多くの模型の物語(モーセ、士師記の士師たち、ルツ、ダビデ、イザヤ、エリヤ、洗礼者ヨハネ…)を通して、人は何を学ぶべきなのでしょうか。
また、わたしとあなたは聖書を通して何を得ようとしているのでしょうか。
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