名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

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“長老の一人がわたしに問いかけた。「この白い衣を着た者たちは、誰か。また、どこから来たのか」そこで私が「わたしの主よ、それはあなたの方がご存知です」と答えると、長老はまた私に言った「彼らは、大きな苦難を通って来た者で、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのである。それゆえ、彼らは、神の玉座の前にいて、昼も夜もその神殿で神に仕える。玉座に座っておられる方が、この者たちの上に幕屋を張る。”
「食べてはいけない善悪を知る木の実」   今月の聖句:神はご自分にかたどって人を創造された。(創世記1:27)   来る水曜日の礼拝ではアダムとエバという最初に創られた人の話をする予定です。わたしたち一人一人が神様にかたどって創られたこと、神様の細かいご計画の中で、特別な愛に基づき、神様のみ手によって創られたというのがアダムとエバの物語が持つ意味であります。その内「善悪を知る木の実」の物語が出てきますが、皆様はこのお話をお聞きになったことがあるでしょうか。 食べてはいけない、木の実を食べてしまい、アダムとエバは神様と共に住むことができなくなったという話です。この話によって、
出エジプト3:1-6 神を見ることを恐れて顔を覆ったモーセ ローマ 8:12-17 恐れるべき者から、神の子供へ ヨハネ14:8-17 受け入れることのできない聖霊を受けたあなた
使徒言行録1:15-26 マッテヤを選び12弟子の数を満たす Ⅰヨハネ 5:9-15 神の証しを自分のうちに持つ者 ヨハネ17:11c-19 どこに属しているか
御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 愛する者たち、わたしたちは、今すでに神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、み子が洗われるとき、み子に似たものとなるということを知っています。なぜなら、そのときみ子をありのままに見るからです。 み子にこの望みをかけている人は皆、み子が清いように、自分を清めます”
“天地創造の前に、神はわたしたちを愛し、ご自分の前で聖なるもの、汚れのないものにしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。(それは)神がその愛するみ子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。”
使徒書 11:19-30 キリスト者と呼ばれる人々 Ⅰヨハネ 4:7-21 愛は神から出るもので、神は愛なのです。 ヨハネ 15:9-17 互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰なのです。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。”
使徒言行録 8:26-40 ここに水があります。洗礼を受けるのに何か妨げがあるのでしょうか。   Ⅰヨハネ 3:(14-17)、18-24 神のうちにとどまる人、人のうちにとどまられる神   ヨハネ14:15-21 聖霊の降臨を予告される
“神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。”     神様の御業は人の目には愚かなものに見えるが、人々の業より賢く。 神様の力が人の目には弱弱しく見えるが、人々の力より強いのです
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名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

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