名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

聖ヨハネ教会の歩み

沖縄本島北部の中心地名護市に、聖公会が伝道を始めたのは1952年7月のことでした。

東京の聖公会神学院から休暇を利用して四人の神学生が来島し、そのうち今井と遠山の二人神学生は名護の開拓伝道と愛楽園の奉仕に当たることになりました。二人の神学生は名護市東江の双葉旅館の倉庫を借り、表に「沖縄聖公会名護聖ヨハネ教会」と大書した門標を揚げ、建物の中の大きな部屋を仮礼拝堂とし、その片側を聖所に定め、三原(現在那覇市三原の主教座聖堂)から貰った小さなテーブルを祭壇として礼拝を始めました。二人の神学生は三原から手伝いに来ていた中学生二人と共に、教会の開設の挨拶と集会案内をもって町の戸毎に配ることからまず始めました。そして1952年8月二日の夜、十二名の会衆が集まって最初の晩祷並びに伝道集会を持ちました。これは記念すべき初めての礼拝でした。その後神学生の離島2週間前に八代総裁主教(今の首座主教)は若い伝道師鬼本照男師と小林萬里師の二人を沖縄に派遣しました。鬼本伝道師は半年間当教会で熱心に伝道活動を続けました。

初めてのクリスマスでは名護市文化会館を借りて礼拝と聖劇をし、これをきっかけとして教会へと足を運ぶ人が増えてきました。

1953年には金殷泰(キムウンテ)司祭が定住司祭として赴任され、これまでの伝道の結実として4月に16名が洗礼を、同26日12名が堅信を受け、聖ヨハネ教会は誕生しました。

1956年5月1日から1962年7月までは2代司祭としてハイオ司祭が赴任され、7年間実に精力的な宣教活動をされました。英語を通して、子供たちのためには皮膚病の薬を調合して治療に当たり、機織り工場を設置し手芸などの授産事業を行い婦人たちに職を与えました。この事業は後に名護手芸会と呼ばれ、神様の愛を具現するために、教会が社会に奉仕する一つの手だとして、できるだけ多くの人々に欲を与え、彼等とその家族に適当な収入を得させたいという考えから始められたものでした。

1962年7月にハイオ司祭と交替として3代の箭野司祭が赴任、1968年5月4日には東北教区から4代目の高橋亭司祭が4赴任されました。

1980年教会の前の国道拡張に伴い、教会敷地の一部と建物が接収されたので、それを期に新礼拝堂を建築することになり、1980年4月着工、9月15日に完成、10月20日礼拝堂聖別式が中村主教によって行われました。

1984年4月高橋司祭の後任として呉屋司祭が赴任され、2001年3月に退職されるまでの7年間教会に遣われてくださいました。

その後2001年から2013年3月までは屋我地聖ルカ教会の棚原恵正司祭と谷正二主教、上原榮正司祭(現在の沖縄教区の主教)のもとで鬼本照男司祭、高良孝誠司祭が退職後嘱託司祭として奉仕され聖餐式を守ることができました。

2013年4月1日から金汀洙(キムジョンス)司祭が補佐司祭として赴任。

2014年4月1日より第6代牧師としてイザヤ金汀洙司祭が任命されました。

2017年4月1日より第7代牧師としてペテロ高良孝太郎司祭が赴任されました。

名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

重要なお知らせ

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