名護聖ヨハネ教会 Nago St. John Church

教区主教 ダビデ 上原栄正   司祭 ドミニカ朴美賢
沖縄県名護市東江1‐1‐12 1-1-12Agarie, Nago,Okinawa
☎ 0980‐52‐2242(Fax兼用) 

今週のみ言葉

御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。 愛する者たち、わたしたちは、今すでに神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、み子が洗われるとき、み子に似たものとなるということを知っています。なぜなら、そのときみ子をありのままに見るからです。 み子にこの望みをかけている人は皆、み子が清いように、自分を清めます”
“天地創造の前に、神はわたしたちを愛し、ご自分の前で聖なるもの、汚れのないものにしようと、キリストにおいてお選びになりました。 イエスキリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。(それは)神がその愛するみ子によって与えてくださった輝かしい恵みを、わたしたちがたたえるためです。”
神を愛するとは、神の掟を守ることです。神の掟は難しいものではありません。神から生まれた人は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝つ勝利、それはわたしたちの信仰なのです。だれが世に打ち勝つか。イエスが神の子であると信じる者ではありませんか。”
“神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。”     神様の御業は人の目には愚かなものに見えるが、人々の業より賢く。 神様の力が人の目には弱弱しく見えるが、人々の力より強いのです
“実にキリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分の肉において敵意という隔ての壁を取り崩し、規則と戒律ずくの律法を廃止されました。こうしてキリストは、双方をご自分において一人の新しい人に造り上げて、平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。”
神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、聖霊により、贖いの日に対して保証されているのです。無慈悲、憤り、怒り、わめき、そしりなどすべてを、一切の悪意と一緒に捨てなさい。互いに親切にし、憐みの心で接し、神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように、赦し合いなさい
神は、ご自分のしもべを立て、まず、あなたがたのもとに遣わしてくださったのです。それは、あなたがた一人一人を悪から離れさせ、その祝福にあずからせるためでした。   悪から離れさせ=神と和解させ、真の平和の取戻し、シャローム、罪を赦し
 このように多くのしるしを彼らの目の前で行われたが、彼らはイエスを信じなかった。預言者イザヤの言葉が実現するためであった。彼はこう言っている。“主よ、誰がわたしたちの知らせを信じましたか。主のみ旨は、誰に示されましたか。”   彼らが信じることができなかった理由を、イザヤは次のように言っている。 “神は彼らの目を見えなくし、その心を頑なにされた。こうして、彼らは、目で見ることなく、心で悟らず、立ち帰らない。わたしは彼らを癒さない。” イザヤは、イエスの栄光を見たので、このように言い、イエスについて語ったのである。
“麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり。根が聖なるものであれば、枝もそうです。しかし、ある枝が折(お)り取(と)られ、野生でオリーブであるあなたが、その代わりに接ぎ木とされ、根から豊かな養分を受けるようになったからと言って、折(お)り取(と)られた枝に対して、誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、根があなたを支えているのです。”
“兄弟たち、わたしたちはイエスの血によって聖所に入れると確信しています。イエスは垂(た)れ幕(まく)、つまりご自分の肉を通って、新しい生きた道を私たちのために開いてくださったのです。(新共同訳) “兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって大胆にまことの聖所に入ることができるのです。(新改訳)       confidence;boldness “わたしたちはイエスの血によって、はばかることなく聖所に入ることができ…”(口語訳)
<< 2 | 3 | 4 | 5 | 6 >>

名護ヨハネ教会は日本聖公会沖縄教区に属する教会です。現在毎週日曜日の午前10時30分に聖餐式を捧げています。礼拝では洗礼を受けた方なら陪餐に与ることができます。まことの福音、イエスキリストを通してこの世に明らかにされた神様の赦しとみ摂理を共に分かち合い、また神の国に入るその日まで互いに励まし会い歩んで行くことを切に祈ります。

重要なお知らせ

このセクションは空白です。

今週のみ言葉はその主日の説教と繋がっていますので、是非その週の説教をお聞きになった上でお読みくだされば幸いです。