「人の子は、失われたものを探して救うために来たのである」
―父母の愛―
3月の聖句 ルカによる福音書第19章10節
ある日、二人の息子の内次男が“僕の分け前を先に貰えませんか”と父に尋ねました。普通なら叱るべきでしょうが、なぜでしょうか。父は財産の半分を彼に分け与えました。次男はその財産すべてをお金に換えて遠い国に旅立ちます。自由になった彼は食べたり飲んだりして持っていたお金を使い果たしてしまいました。すると今までともに遊んでいた友たちが一人二人離れていきます。さらにその地方に飢饉が起こり、多くの人が飢えて死んでいきました。幸いに彼は豚の世話をすることになりましたが、余りにもお腹がすいていた彼は豚の餌をおいて豚たちとエサ取りをしている自分のことに気づきます。恥ずかしかったでしょう。“今、ぼく何をしてるんだろう”そこで彼はお父さんのことが思い浮かびました。たくさんの僕が働いていて、その多くの人々が満足・満腹して暮らす「父の家」。
“父の家に帰ろう。そこは本当に素晴らしいところだった。もう息子と呼ばれることはないが、僕としては雇ってくださるかもしれない”彼はすぐに立ち上がり、豚の餌を投げ捨てて父の家へと向かいます。
父は息子が家を出たその日から村の入口のあたりで息子の帰りを待っていました。“この子は必ず戻ってくる。父の家の良さに気づいて必ず帰ってくる”父はその思いで息子を送り出したのです。そしていよいよその日が訪れました。息子が父の家のことを覚えて帰ってきたのです。お父さんはあまりの嬉しさに裸足で走って物乞いのようになった息子を抱きしめ、すぐに新しい服を着させ、指輪をはめてあげました。失われた息子が帰ってきたからです。
教会では「神は愛です」と教えています。しかし見えるものでも触れられるものでもないため、その愛のことがわたしたちには理解しがたいものであります。それでこのような物語を通して、またわたしたちの愛おしい子どもたちを通して“父の愛”を感じさせているかもしれません。