「お言葉とおり、この身になりますように。」
12月の聖句 ルカ1章 38節a
マリアは、ヨセフと婚約をしている間に子どもができてしまいました。イスラエルの結婚の特徴でもありますが、結婚を約束した二人は約1年以上遠く離れて過ごさなければなりませんでした。その間、男性は持参金を支払うためにお金を稼いでいて、女性の方は持参金の準備ができる次第自分を迎えに来る旦那を待ちつつ新しい結婚生活のことを準備していたのです。ですからその間に子どもができるということはありえないことでした。
マリアにおいてはこれから始まる結婚生活を楽しみつつ、その準備をしていた喜ぶに満ちているはず時間が、破婚されるかもしれないという不安な状況に変わろうとしていたのです。マリアにおいて、天使のお告げ(あなたは男の子を生みます、その子の名前をイエスに名づけなさい)はとんでもないことであったのです。しかし、マリアは、そのお告げを聞き、躊躇することなく天使ガブリエルに次のように答えました。「私は主のはしためです。お言葉のとおり、この身になりますように」。この答えはイエス様が十字架に掛けられる前に、ケツセマネというところで祈られたときの言葉と似ています。「アッパ(パパの意味)、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取り除けてください。しかし、わたしが願うことではなく、み心に敵うことが行われますように…」(マルコ14:36」
聖書はこのことを従順といいます。自分の考えではありえない、到底受け入れることのできないことであっても、「神様、あなたのみ心ならば、そのとおりこの身になりますように」という答えが求められているのです。クリスマスは単なるお祝いの日ではなく、キリストイエスの神様に対する従順に心を留めることが求められる期間であります。